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恣意的なある断片からみた世界

IT/政治/哲学/ビジネス全般/株/現代社会の考察?

現代の女性の裸の価値について

女性の裸の価値が今どんな状況で今後どうなるのか、

最近考えている。

 

 

□男にとっての女性の裸の価値は下がり続ける

 

 男にとっての女性の裸の価値は下がり続けるだろう。

 その大きな要因は技術の発達である。

 ここでは、インターネットとVRを挙げたい。

 

 〇インターネットの発明

  インターネットの発明は男性の性生活にとって非常に

  大きな影響を与えている。

  写真の技術がない時代、女性の裸はとても希少だった。

  写真技術が普及した時代、女性の裸はまだ希少だった。

  映像技術が普及したとき、女性の裸の希少性は失われつつあったが、

  ビデオやDVDの購入が必要だったことで万人に対して開かれてはいなかった。

  インターネットの時代、我々はゼロコストでいくらでも

  無修正の女性の裸を入手することが出来るようになった。

  このとき、視覚的希少性はもはやない。

 

 〇VRの発明

  そして今、VR技術が確立しようとしている。

  VRとは、仮想現実のことである。

  VRの性産業への適用により、

  好きな女優とのセックスを体験できたり、

  リアルなセックスより高い快楽を体験できたりする。

  このとき、性的快楽を得る装置としてのリアルセックスに価値はなくなる。

  女性の裸の価値も当然失われる。

  自分の好みの顔、体系の女性を自由に作成し、実際に体に触る体験も

  容易に可能になるだろう。

 

 

□女にとっての自身の裸をさらすハードルは上がっている

 

一方で、女にとって自分の裸をさらすハードルはますます上がっていくだろう。

インターネットの普及と、動画撮影の容易化による。

インターネットによって一度撮影された動画は、全世界に公開される。

そして、動画撮影はますます容易になっていく。

スマートホンに搭載されるカメラや、小型カメラの発展のためである。

他者に自分の裸をさらすとき、撮影のリスクを排除することはもはや不可能である。

 危険を回避するためには、そもそも他者に裸をさらしてはならない。

 すなわち、女にとって、自分の裸をみせるハードルは上がっていく。

 

 

☆まとめ

 男にとっての女性の裸の価値は下がる一方で、女にとって自身の裸を

 みせるハードルは上がっていく。

 換言すれば、

 男はこれまでの時代のようにエネルギーを割いて

  リアルな女性の裸をみたいと思わなくなるし、

  女性は今後ますます身体を許さなくなる。

 

    上記の事は当然逆もなりたちます。

 (女の人がどれだけ男性の裸に執着しているのかは知りませんが。。)

 

 以上より、少子化はしかたなし!っていうのが僕の今の考えです。

 今後テクノロジーによって我々のセックスという営みが

 どう変容していくのか興味深いです。

 

 

SIer営業が就活の時に考えていたこと ~労働者の視点から~

 

労働者という視点から、新卒という価値ある切符をどう使ったらよいのだろうか。

 

少し前の話になるが、当時考えていたことを一度ここで整理しておこうと思う。

(理由は、最近採用活動の社員交流会に呼ばれることが多いから)

 

大きく以下四点で考えていた。

 

順に述べていきたい。

 

①人材価値の増大の観点←これたくさん書いたから読み飛ばしてもOK

 この観点では、10年その仕事を全うしたときに、

 人材価値は上がるのか、という視点である。

この観点は大きく二つに分類できる。

 (1)スキルが蓄積するタイプの職か

    これは、単純に10年間の経験が仕事のレベルに

    大きな影響を与えるかという視点である。

    これは決して当たり前の話ではない。

    例えば、経営コンサルタントの職業。

    高度な能力が必要とされる職の一つである。

    コンサルティング対象企業が抱える課題に同一なものはなく、

    あらゆるデータと仮説思考を頼りに、企業経営にアドバイスをしていく。

    しかしながら、高度な能力が必要とされるが故に、

    もともとの個人の能力に大きく依存する職であると考える。

    10年目の中堅コンサルタントが、新卒1年目のハーバード大学主席卒業の

    ようなスーパーハイスペック人材に負ける可能性があると私は就活の時に

    考えていた。

    これは極端な例であるが、むしろ多くの職が、

    高度な能力を持った素人にすぐに追い抜かれる可能性がある。

 

    このような事態はなかなかプライド的にきついので、知識と経験の蓄積が

    仕事のレベルに影響を与えるような職が良いと考えていた。

 

 

  (2)10年後、職はまだ存在するのか

     これは、10年後にその職はまだ人間が就いているのか

     という視点である。

     情報技術の進歩により、様々な職が今後淘汰されていくと

     言われている。

     たとえ、ある職の中で一流となっても、そもそも職がなくなってしまう

     リスクがある。

     未来になくなるだろうと考えていたのは、

     大学生に大人気の商社と金融業界である。

   ・商社

      商社はいまだになぜまだ繁栄しているか分からないが、

      将来衰退すると考えていた。

      理由は、インターネットにより、価値に関する情報の非対称性が

      失われたから。

 

   ・金融

      AIと最も相性の良いのが金融だ。

      正確性と速さが何より生産性をあげるからである。

      金融業界は今後も続く。ただし、必要な労働者の数は必ず減る。

 

 

②精神を病んで社会生活を営めなくなるリスクの回避

 そのままの意味である。話題の電通さんや、某コンサル会社、外銀等の

 過酷な労働環境は少し調べれば分かるので避けるようにした。

 

 

③社会的信用の観点

 定職に就いているというのは、この時代のこの社会においては大きな意味を

 持つらしい。

 中でも一部上場企業に正社員として勤めていると、絶大である。

 結婚する時も向こうの両親から文句を言われることはない。

 これはものすごいことで、新卒の切符があるのであれば、コスパよすぎる。

 結婚するまでは一部上場企業にいたほうがいいと考えていた。

 

 

④勤務地の観点

 勤務地は絶対に東京が良かった。 

 下記三つの理由により、海外転勤が限りなく少なく、

 東京圏もしくは地方都市で働くことが出来る企業を選択した。

 (BtoBの企業であれば、だいたい都市にしかない気がします)

 

 理由

 (1)世界一の都市だから。

    GDP、人口、交通の便、食、どれをとっても東京を超える都市はない

 

 (2)人間関係が東京にしかないから。

    関東圏でしか生きたことがないから、東京に最も多くの友人関係がある。 

    人生を豊かにするために友人と食事することは必須である。

 

 (3)日本語圏だから。

    当たり前であるが、日本語圏であることは非常に大きい。

    海外に出れば、その国の制度を外国語で一から調べなければならなくなる。

    このコストは計り知れない。

    我が国の制度であれば、ファイナンシャルプランナーの勉強でかなり

    頭に入っているし、不明点は日本語で理解することが出来る。

 

 

☆それで結局のところ

 ITの法人相手のコンサルティング営業ができる会社を中心に受け、就職しましたとさ

 

以上

 

   映画『バイオハザード:ザ・ファイナル』      ~人間性を人間よりもつ人間ではない存在~(ネタバレあり)

バイオハザードシリーズの完結編である『バイオハザード:ザ・ファイナル』
を見た感想として大きく二点考えたことがある。

①地球を救うために一度壊すという着想
 
 〇アンブレラ社の目的
  本作でアンブレラ社の目的が明らかになった。
  Tヴィルスが飛散したのは事故ではなく、
  意図的に行われたことであった。
  その目的とは、”世界の再構築”である。
 
  人口は増加の一途をたどり、地球温暖化、エネルギーの枯渇などが
  発生し、地球は死の淵にいる。
 
  リセットが必要である。これがアンブレラ社の上層部の答えだ。
 
  Tヴィルスで地球上の生物を浄化(根絶)し、
  選ばれし者たち(アンブレラ社の幹部)は地下施設で冬眠装置にて
  浄化の完了を待つ。

  時が来たら、幹部たちは冬眠装置から起き、新たな世界を構築する
  という構想であった。 


 〇広く共有される破滅の価値観
  地球は死にかけており、打開するためには一度リセットするしかない
  という着想は、先日公開された映画「インフェルノ」も同様であった。
  他にも、映画「インターステラ」も近い着想である。

  近年の映画には上記の思想は非常に多く見られるものである。
  
  人類の発展によって地球が破滅へと向かい、結果として人類が
  滅亡するという発想。
  これは、一部の資本主義に警鐘を鳴らす人々による特殊なもの
  であるとこれまでは考えていた。
  『暴走する資本主義』のロバート・ライシュや、
  『産業社会の病理』の村上 泰亮がその代表的な論者である。

  しかしながら、今回『バイオハザード・ザ・ファイナル』を見て、
  地球破滅の思想は一般の人々にもかなり広く前提として
  受け入れられるようになってきているのではないかと
  感じた次第である。


②人間性を人間よりもつ人間ではない存在
 
 「アリス、あなたは私たち人間よりもずっと人間的なものをもっているわ」

 上記は、アリシアからアリスに対しての台詞である。

 〇本作に登場する三つの存在
  本作では、三つの存在が登場する。
  一つ目が、人間である。
  二つ目が、オリジナルの人間を基に作られたクローンである。
  三つ目が、人工知能である。

 〇人間的とは何か
  人間的であるとはどのようなことか。
  この問いは哲学分野で繰り返し論じられてきたことである。
  私は、非合理的な〈内発性〉だと捉えている。
  内から湧き出る内発的な動機によって合理を超えた行動を
  行為することが人間的であると考える。

  アリシアの台詞を引用したが、アリシアの使用している人間的も
  私の捉え方と概ね合致していると考えている。


 〇人間的なものを有するのはだれか
  その上で、人間的なものを有するのは誰なのだろうか。
  映画の中では、人間(=アンブレラ社の幹部)は
  最も人間的なものから離れた存在として描かれる。
  アンブレラ社以外の人間は、弱者であり、死ぬ運命にある。  
  生き残る人間=アンブレラ社の幹部は合理的に結論を導く。
  そこには、内発的なものは存在しない。

  人口知能であるレッドクイーンは、アンブレラ社を裏切り、
  アリスの味方をする。
  この正当性の根拠は、人命を最優先するという最上位プログラムだと
  レッドクイーンは主張する。
  もしこれが正しいのであれば、全面的にアリスをサポートしてよい
  はずであるが、実際にはアンブレラ社の命令に大きく反することは
  できていない。
  であれば、やはり上記の主張は困難があり、
  アリスに情報提供をしたのは内発的な動機に
  基づくものではないのかと推測される。

  最後に、アリスであるが、アリスは創られたクローンである。
  アリスは自分が人間でないと知った後でも、
  自身の命よりも人類の存続を優先する。
  アリシアの台詞はそのようなアリスの意志を受けてのものである。

 〇人間性を人間が失った世界で
  人工物が人間性を保持するというアイロニー
  
  本作の世界では、力の強い人間が生き残る。
  しかし彼らは人間性を失った。

  代わりに、人間性をプログラムされた人工知能
  創造されたクローンが人間性を保持するという皮肉。

  そして、これは今後の現実の社会でも十分に起こりうる
  事態であると私は感じた。

ドラマ『僕のいた時間』 ~承認をめぐって~

ただ一つ分かっていることは、僕がどんな状態になっても、僕が愛とぬくもりに包まれているということです。

 

僕は愛とぬくもりだけで生き続けることができるのだろうか。それだけで、僕は生きている意味を感じることが出来るのだろうか。

 


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〇ドラマ『僕のいた時間』

 フジテレビ・共同テレビの制作で2014年1月8日から3月19日まで放送されたテレビドラマ。
 主演は三浦春馬。ALSを発症する主人公と彼を取り巻く人々の生き方を描く。

 

 

〇「人は承認されるだけで生きていけるのか」

「人は承認されるだけで生きていけるのか」、これがテーマだと受け取った。承認欲求という言葉に象徴されるように、人にとって他者からの「承認」とは生を実感する上で大切な要素である。認められたい、愛されたいという欲求は根源的であるように思える。

 

だがしかし、人は“承認される”だけで生を実感できるのか。
拓人は講演で、「愛と温もりに包まれていることは確かだ。だが、それだけで生を実感できるのだろうか」と語っていた。“承認されること”は満たされている。
しかしながら、ALSの進行が進むことによって自己の感じていること・考えていることを表現できなくなる。
思いを相手に伝わるように表現することは非常に高度なことである。
目の動き等でYES,NOの意思を伝えることはできても、相手に自分の想いを伝えることは困難だ。
私が言いたいのは、他者を承認し、相手がそれをその通りに受け取ることは非常に高度なコミュニケーションだということである。
“承認すること”(結果、相手が承認されたと感じること)がALSの進行により難しくなる。このとき、拓人は“他者から承認されている”が“自分が相手を承認できなくなるという状況に置かれる。


他者を承認できないという事態。この状況下における“生の実感”はどうなるのだろうか。

深く考える必要のあるテーマであると思う。

 

 

 

いえない (RADWIMPS)を聴いて考えたこと

君のいない世界で僕は
はじめて君が望んだ僕になる

 

情熱が冷めるその音を
この耳で聞くくらいならば・・

 

 

〇『いえない』について

 RADWIMPS

Xと○と罪と

作曲︰野田洋次郎

作詞︰野田洋次郎

 

〇この曲が訴えていること

 冒頭で引用した歌詞がすべてである。

 この曲で“僕”が恐れていること、

 それは自分の愛情が冷めてしまうこと。

 それが恐くてしょうがない。

 最愛の人への愛情が冷めてしまう。

  いずれ冷めてしまうことが分かっているのだ。

  ただ一つだけそれを避ける方法がある。

  「君が今死ぬこと」である。 

  今君が死ねば、“僕”はずっと君に縛られ続けることができる。

  君のことをずっと想うことができる。

  だから頼むから死んでください。

  そんな曲だと思う。

 

〇共感

 私は強く共感した。

 今、大切で愛している“君”。

 だけど、どうしても愛情が薄れてしまうだろうと予感してしまう。

 相手の愛情が冷めてしまうのではなく、

 自分が冷めてしまう。

 自分の感情なのに、コントロールができない

 これまで自分がかけてきた甘い言葉、誠実な言葉を裏切るのは自分だ。

 そのことがくやしくて、でもどうしようもできない。

 そう、相手が死ぬようなことがなければ。

 こんな感情を表現した音楽にこれまで出会ったことがなかった。

 ずっと心に残り続ける名曲となると思う。